参禅を共にし、七事式制定への参画、数々の茶事などを通して如心斎に師事した不白(当時宗雪)は、師の信頼を得、「茶湯正脈」という証文を与えられた。
日付は延享二(1745)年4月7日。 この年、如心斎40歳。宗雪27歳。
おのか名の 千年を 菊の 実生かな
米 不白(印)
借用地水 火風空 返却兮 今月今日
妙々に妙なる法に 生れ来て 又妙々に行そ 妙なる
孤峰不白日祥(花押)
南無妙蓮華経 南無妙蓮華経
依テ證文如件
無心雲自閑
孤峰(印)
不白はその長き生涯において、多くの書画や茶杓、手作りの茶碗を残している。七福神の茶碗は、共箱に「不羨」とあり、初期のものであるが、不白の作ぶりがよくあらわれている。
米寿とあり、不白晩年の作。中節に大きな虫喰いがあり、それを龍の栖に見立てての銘。太くて大らかな作振りも不白の特徴をよく表している。