■やきものに見える景色
荒川 正明 先生
(学習院大学文学部哲学科美術史専攻教授)
荒川先生は、皿や壷といったやきものの文様には理想とする世界観や強い生命力などが様々な形で表されていることを豊富な画像資料を示して解説していただいた。
たとえば、理想郷のモチーフは皿の見込みに様々に描かれるが、壷中の天の逸話にみられるように壷とからめて表現されることもある。
荒川 正明先生
蓬莱山という霊山は三つの壷を連ねた形、三壷山とも呼ばれ、日本の前方後円墳は壷の形という説もあると紹介された。
壷とはマジカルなパワーをもち、そこから溢れ出るイメージは、汲めども尽きぬ豊かさや生命力の象徴とされる。壷に掛かる釉薬の流れ、茶入は観音の持つ魔法の玉の宝珠の見立てではないか……。
文様や意匠に込められた人々の願いや祈り、憧れが様々な形をとりながら、時代を越えて継承されていることが具体的に理解でき、やきものを見る楽しみに新たな視点が加わった興味深いお話であった。
■森鷗外自筆扁額「香酣茶熟」の出典について
山崎 一穎 先生
(学校法人跡見学園理事長・森鷗外記念会顧問)
「香酣茶熟」とは、家元の教場に掲げられている森鷗外自筆の扁額で、山崎先生は、この出典を丁寧に読み解き、その意味する世界を紐解いてくださった。
この文字は「香(こう)酣(たけなわ)にして茶
熟す」または「香酣(くん)にして茶(さ)なる」と読み、中国の明代の詩人徐
𤊹の「閑居」という作品の一節。先生が日本語に置き換えて解説されたこの詩の意味するところは、「緑深い山中、自然に囲まれての閑居、茶を喫しながら物思いに耽り夢を見る。人との交わりに煩わされることなく、心のままに生きる」という内容で、
山崎 一穎 先生
中国人の生き方の一つの理想を詠じたものと説明された。
この書は落款から鷗外が小倉に転勤となった時に書かれたと知れる。環境の変化や、父を亡くしたことで、この頃鷗外の心境に変化があったのではと話された。若い頃に理解できなかった、諦念とも感じられた父の生き様に対し、心を常に平らかに生きようとしていた求道者の面目を見るようになったという。この扁額は、鷗外死後も森家に大切に伝わってきたものという。
森鷗外没後百年、生誕百六十年の今年、実物の扁額から鷗外の心の一面に触れる事のできた貴重な講演であった。