岡倉天心の命日である九月二日、第十五回目になる天心忌茶会が江戸千家家元邸で行われた。
花月の間の床には白隠の達磨画賛が掲げられ、不白好の三具足には秋の草花が生けらた。家元の読経の後、天目茶碗に点てられた御茶が、一円庵の天心の消息に供えらた。手紙は国文学者黒川真頼に宛てた『國華』(明治二十二年創刊)への寄稿依頼についての内容で「正倉院御話の」という文言を含む。下には、法隆寺の女侍塑像が添えられた。天心は生涯に亘り、法隆寺をはじめとする古社寺の保存運動に力を尽くしている。
恒例となっている講話は、茨城大学で岡倉天心の研究をされている清水恵美子先生に、東京国立博物館で展示されていた、矢野文雄宛の天心の手紙について紹介していただいた。
午後には柳家小満ん師匠による落語、「応挙の幽霊」が演じられた後、広間で呈茶が振る舞われ、天心を偲ぶ和やかな一日が終了した。
一円庵床 岡倉天心消息
正倉院云々
黒川真頼 宛
前ニ 女侍塑像 伝 法隆寺
【会 記】
寄 付
清水経切 一行
花月の間
床 白隠 達磨画賛
前ニ 不白好
竹 三ツ具足
花 吾木香 澤桔梗
女郎花 河原撫子
蓮華升麻
長板飾り
風炉釜 切合せ
皆具 梅翁好
亀絵瑠璃染付
棗 忍草蒔絵 赤地友哉作
茶碗 柳原 青磁写
替 半泥子作 皮鯨写
茶杓 名心庵作
銘 己等
御茶 池の白
八女 星野製茶園
御菓子 伽藍餅 銀座 空也
器 李朝白磁 平皿
替 古山子作
脇床 橋本雅邦 干網ニ白鷺図
一円庵
床 岡倉天心消息
正倉院云々
黒川真頼 宛
前ニ 女侍塑像 伝 法隆寺
教 場
床 大観 雲上富士
脇 南朝古越磁 蓮華壺
●「東博所蔵 天心消息」
(概要)
茨城大学
清水 恵美子 先生
明治三十三年に帝室博物館が発足した際に、知人の矢野文雄に博物館行政の意見を七項目にわたって進言した手紙である。
日本の伝統技術を身に付けた上で、西洋の技術も採り入れて今の時代に合った新しい美術をめざす天心らの思潮を調和主義というが、伝統重視の日本主義、西洋の技術を採り入れるべきという西洋主義とともに平等に保護してほしい、とまず述べている。文化財蒐集の方針としては東西の美術品を各時代の特徴を開示して展示するとともに、東洋という概念に、日本の文化を成立せしめた中国、朝鮮、印度を含める事、また、文化財保護のために、積極的に模写模造を取り入れることなどと記す。東京、京都、奈良に、地域的な特色を持たせた博物館を建設する必要性。博物館を社会教育の場とし、一般の人にも愉しめるものとすると同時に学術的な研究の拠点とすべきこと。人材を派遣し、欧米の博物館の構造や陳列分類などを学ぶべきという学芸員の育成にも触れている。
この手紙が書かれた明治三十三年、岡倉天心は帝国博物館の要職や東京美術学校校長を辞し、日本美術院を設立するも沈滞に向かうという失意の時であった。
清水恵美子先生
このような不遇の時にも先を見据えた進言をした天心は、後に渡米し、ボストン美術館の中国日本美術部長としてこれらの方針を具体化していった。
西洋と東洋という二項対立を超えた調和の世界を目指した天心の先見性が具体的に表された手紙である。
応挙の幽霊」を口演する柳家小満ん師匠