それぞれの先生のご紹介をする宗雪宗匠
今年の講習会は,今日庵文庫長で、茶道資料館副館長の筒井紘一先生に、「もてなしの心」と題して、利休の人物像、茶の湯の本質ついてお話いただいた。岡野弘彦先生は、折口信夫に師事された歌人で、現在國學院大學名誉教授、日本芸術院会員。「日本人と桜—戦後七十年にあたって」という演題で、万葉集から現代までの桜にまつわる和歌を紹介いただきながら、日本人にとっての桜への思いについてお話いただいた。内容の一部を紹介します。
(詳細は東京不白会会報『池の端』65号に掲載されます)
講演に先立ち、宗雪宗匠が投げ掛けた問い「本当の利休像とは」に、筒井先生は「『なぜ利休の茶は残ったのか』ということ」と答えられた。
なぜ利休の茶は残ったのか、この大きな問いに対して、筒井先生は利休が亭主となった茶会の記録、参会した茶会記を読み解き、多くのエピソードを紹介しながら利休という人物を示された。
津田宗久、今井宗及といった同時代の茶の湯のライバルたちが、名品を用いての茶会を開く中、そういった茶道具を多くもたない利休は、想像力を働かせ、趣向、作意の茶事を繰り返していった。例えば、草庵の茶で香炉を袋に入れて床に飾る。鶴首の古銅花入に花を入れずに口いっぱいの水を差して床に飾る。(他の茶事で棗が使われていたのを見て、それを仕服に入れて濃茶に用いてみる、等々。
利休は道具ではなく顔の見えるお茶、利休という人物の趣向で客をもてなす道を選んだ。そして利休の茶の湯は今も残っている。
一汁三菜の料理でも、珍しいものではなく日常食べている程度のものを、ただし徹底して手をかけ、そして亭主自身が給仕して客に出すことを重要とした。
これらのことが茶事の本質であり、それこそが究極の「もてなし」なのである、と、先生はお話を結ばれた。
万葉集の時代は中国文学の影響で梅の方が多く歌に取り上げられてはいたものの、富士山に祭られている木花咲耶姫《コノハナノサクヤヒメ》の花が桜であるるように、桜は古代より日本人に親しみのある植物であった。桜が折にふれ、日本人の生活や心に寄り添う物であることを、岡野先生は多くの歌を朗詠されながらお話しくださった。一部を紹介します。
〈世の中にたえて桜のなかりせば
春のこころはのどけからまし〉
〈おもかげに花の姿を先立てて
幾重越え来ぬ峰の白雲〉
〈吉野山こずえの花を見し日より
心は身にもそはずなりにき〉
〈鳥蟲に身をはなしてもさくら花
さかむあたりになつさはましを〉
〈桜の花散りじりにしもわかれ行く 遠きひとりと君もなりなむ〉
最後に岡野先生は、ご自身の戦争体験とその際の歌を披露された。〈ほろびゆく炎中の桜見てしより我の心の修羅しずまらず〉
悲惨な痛ましい光景、その悲しい叫びと響きあう桜花の美しさ。聞く人の心と脳裏に強く焼き付くものであった。桜の花に仮託する心情は様々でも、桜は毎年開き散っていく。
戦後七十年、平和の大切さをかみしめていきたいと感じられるお話であった。