細川家は、南北朝から六百七十年ほど続いているが、細川護煕氏は、はじめから数えて二十六代にあたられる。細川氏は、細川家の始祖である細川頼有並びに兄にあたる頼之の兄弟の活躍からお話を進められた。
続いて、細川家中興の祖といわれる細川幽斎について、戦乱の時代に身を起きながらも一流の文化人であったことを説かれた。幽斎は、特に歌学、有職故実に長じ、文武両面においての歴史的評価の高さを具体例を取りあげながら、わかりやすく話をされた。
細川家が長く続いた理由として、幽斎のように中庸を歩むという姿勢があったこと、そして地位や財産に固執しなかったことを、いくつかの事例を挙げられながら解説された。
細川家が、乱世を生き抜いたのは、徹底した情報活動が功をなした。
細川三斎と忠利親子の間には四千五百通の手紙が残っているというお話は大変興味深く、細川家が情報をいかに戦略として重要視していたことが実証されている。
三斎と茶の湯について、利休との深いつながりがあったこと、また利休から茶の湯の印可相伝が行われたという。
最後に、細川家と記録のことについて、南北朝から七百年あまり、幾度も戦乱があったにもかかわらず、細川家はほとんど火災にあわず、歴史的に価値の高い資料が残されていることについて触れ、細川家は、記録を大事にする家であり、そうした記録から、日本の歴史を修正するような話しも出てくるかも知れません、と結ばれた。
石井氏は、まず三斎の生涯について戦国の武将としての活躍を中心にして話され、また、茶人三斎については利休とのつながりを基に解説された。更に、三斎とキリシタンをテーマにして、ヨーロッパ文化とのつながりを話された。
三斎自身はキリシタンにならなかったが、三斎の妻は明智光秀の娘で、キリシタンとして著名なガラシャ夫人。三斎は、キリシタン大名の高山右近の感化により、クリスチャンのよき理解者となる。石井氏は、三斎の葡萄酒作りに熱心であったことを取りあげられ、ヨーロッパ文化とのつながりを指摘された。
続いて、現在永青文庫に所蔵されている美術品、古文書について説かれ、スライドを用いて有名な、三斎注文の長次郎茶碗「おとごぜ」。利休所持で徳川家に伝わり、三斎に与えられた「利休尻ふくら」などの解説があった。また、三斎自身が作った竹花入、茶杓、その他、三斎好みの茶道具について取りあげられた。
ところで細川家は、室町時代より、代々、能を好み、名人により作られた能面、狂言面が守り伝えられていることにも触れられ、細川家と文化人とのつながりについて、その幅の広さ、深さについて、永青文庫の所蔵品が物語ることを説かれた。