【会記】 外待合 ワイン チーズ 床 光悦 消息 俄三州罷下候 花 糸ススキ、吾亦紅、赤水引、 金水引、あざみ、白髭草、 雁金草、ホトトギス 花入 篭 香合 風神蒔絵 風炉釜 切合せ 水指 竹 手桶 茶入 時代菊蒔絵棗 茶碗 のんこう 無事 替 魯山人 雲ノ峰 茶杓 一元斎 有明 蓋置 竹 在判 建水 曲 御茶 池の白 八女星野園詰 御菓子 最中 銀座空也製 器 御盆
第八回妙高天心茶会は平成二十一年九月三日に開催された。当日は曇りがちではあったが、斑尾連峰はもとより妙高山も時折り姿を見せ、何より嬉しかったのは辺りを包む涼やかな秋の気配であった。
岡倉天心の没した大正二年九月二日もこのような日ではなかったろうか。祖父平櫛田中の言葉によれば柩を秋草で被い野辺の送りをしたという。
今年のお家元の山荘でのお道具組みは光悦の消息を中心にすえたものであった。毎年のことながら『茶の本』に投影された天心の茶の精神(美の精神)が表出され、心打たれるものであった。
晩年の天心は失意の内に五浦、妙高で過ごしたと思われているが、亡くなる直前の八月にも、法隆寺金堂壁画保存の建議案を提案するため東京に出向いている。
茶会前日に行われた記念講演で講師依田徹先生(さいたま市文化振興事業団学芸員)もふれられたが、そうした天心の命の最後の焔をかきたてたのは、インドの女性詩人プリヤンバダ・ディヴィ・バネルジーとの往復書簡(岡倉古志郎氏によれば「恋の相聞歌」)であったろう。一九一二年、天心がインドに滞在した折り二人は出逢い、数々の手紙が交わされた。この恋は命限りあるが故に純粋に昇華され、その美酒は彼の精神の奥襞まで染み入ったであろう。プリヤンバダは『茶の本』についても天心に賛辞を送っている。
乾いたしわしわの葉よ
いったい誰が夢見たであろうか
こんな乾いた葉の中に
かくも緑なす春の潮の歌と詩と美が
保たれていたなどと
茶会前日に行われた記念講演
「垣間見る天心の想いと美意識を」
依田徹先生
天心は亡くなる直前、大正二年八月一日に、次のような最後の手紙を送っている。
奥様 何度も何度もペンをとりましたが、驚いたことに何ひとつ書くことがありません。すべては言い尽くされ、なし尽くされました−−安心して死を待つほか、何も残されていません。広大な空虚です−−暗黒ではなく、驚異的な光にみちた空虚です。炸裂する雷鳴の、耳を聾せんばかりの轟音によって生み出された、無辺際の静寂です。私はまるで、巨大な劇場にたった一人で坐り、みずから一人だけで演じている絢爛たる演技をみつめる王侯のような気持ちです。おわかりでしょうか?
いいえ、何も書くことはありません。お元気でいらっしゃることを念じます。ほんとによくおなりですか。私は元気で幸せです。
敬具 覚三
戒告
私が死んだら
悲しみの鐘を鳴らすな。旗をたてるな
人里遠い岸辺、つもる松葉の下ふかく
ひっそりと埋めてくれ−−あのひとの詩を私の胸に置いて。
私の挽歌は鷗らにうたわせよ。もし碑をたてねばならぬとなら、いささかの水仙と、たぐいまれな芳香を放つ一本の梅を。さいわいにして、はるか遠い日、海もほのかに白む一夜、甘美な月の光をふむ、あのひとの足音の聞こえることもあるだろう。
一九一三年八月一日(大岡信訳)
プリヤンバタに送った辞世の歌のとおり、天心は五浦の海辺、大きな松に寄り添う土盛りの中、永遠の眠りについている。
祖父が敬愛した天心は、まだまだ謎の多い魅力的人物である。
参考文献 「岡倉天心」平成十九年、東京芸術大学岡倉天心展実行委員会
「鵬」インド特集 平成二十年 天心研究会「鵬の会」会誌