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2020年12月1日

ジャン・コクトーのアポロンの絵 メモワール

足立淳雪(東京不白会)

プロローグ
 宗雪宗匠がまだ慶応大学ご在学中、卒業記念に何かと考えて、お小遣いを貯め、顧問の山口有雪先生にご相談した。山口先生は銀座の「空也」のお店近くのフォルム画廊を紹介して下さった。
 そこで、この絵に出会い、色鉛筆の洒脱なタッチが気に入り、購入、愛蔵なさった。 それから、何年かたって、足立が入門。その頃、直門に青年部という組織があり、美術倶楽部かどこかで、掛釜をすることになったが道具はもちろん何もない。宗匠がお道具とこのアポロンの絵も貸して下さり、これを、お床に掛けた。 お席が終わった後、この絵は当然、宗匠にお返しするべきものを、なぜか宗匠は、うっかりと、これを足立に進呈して終った。足立サイドとしては、こんな貴重なものを、頂くわけも無く、なんのお礼も差し上げてもいない。なんとなく、お預かりしている感じで大事に仕舞っていた。
エピローグ
 それから、半世紀近い歳月が流れた。昨年、宗匠が軽井沢のご山荘に来られたとき、足立宅にお立ち寄り頂いた。その折に、足立は久しぶりと思い、この絵を床にかけてお目に掛けた。宗匠は「ああ、この絵は此処にあったのか!」と驚かれた。
 さらに本年、雲鶴先生とお二人で、山荘開きに来られた際、足立は、現在の江戸千家のアポロンである新柳さんの手元にあるべきではないかと、申し上げた。ちょうど、名前も新しくなった折でもあり、お祝いにもなるし。宗匠も雲鶴先生も、ご同意くださり、この絵はとりあえず宗匠の手元へと戻った。
 めでたしめでたし。
●エピソード 1
アポロンまたはアポロとも
ギリシャ神話の青年神。太陽神。知性と道徳、秩序などの保護者。美青年の姿で彫像などに表現される。
●エピソード 2
ジャン・コクトー Jean Cocteau  (1889-1963)
20世紀フランスのシュールレアリスムを代表する詩人、画家、映画作家。制作監督した映画では『美女と野獣』が有名。モノクロだが視覚的美しさと詩情がすばらしく、影響を受けたデイズニーのアニメも実写も豪華なだけで、その香気は足元にも及ばない。
●エピソード 3
山口有雪先生
お若い時、フランスに留学。お好きだった当時のパリ画壇の画家たちの絵を買い集め 日本に送っていたが、留守中の関東大震災で焼失。きっと無名時代のモジリアニやユトリロなどがあったのではないか。そのご縁で、福島ご夫妻と親交を結ばれた。
●エピソード4
福島繁太郎・慶子夫妻
大富豪で長らくパリに滞在。各国からパリに集まった画家たちの活躍を援助。国籍に関わりない彼らの画業をエコールドパリと名付けて、初めて日本に紹介。著書『エコールドパリ』を上梓。好著である。帰国後は銀座にフォルム画廊を開設。香月泰男など有望な若手画家をパトロナイズした。

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2019年5月7日

植樹経過報告

2019年植樹・発芽

片岡信夫(片岡林業)

 日頃たいへんお世話になっております。
 三年前弊社にお越しいただき、家元ご家族と幹部の皆様にお手播きをいただいたクヌギの苗を令和元年の朔日に山に植樹しました。
 本日定着具合を確認したところ、順調に新芽の発芽を確認致しましたことを御報告させていただきます。
 苗木と植樹後の写真を添付いたします。
   五月七日       片岡林業 片岡信夫

2017年クヌギ手播き

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2019年4月10日

共食論の理想と現実

足立淳雪(東京不白会)

 諸外国から国王や大統領など元首暮らすの国賓が来日されたとき、天皇・皇后両陛下は宮中で盛大な晩餐会を開き歓迎の意を表される。その国賓は滞在中に同国の大使館なりホテルなりに両陛下をご招待してリターンバンケットを行い謝意を表す。このように人類は古代から、そして未開の民であっても、ひとつの場で同じものを飲食する、つまり共食をすることによって、親睦を深め合ってきた。
 茶の湯は、それが最も洗練された形の文化である。しかし正式の茶事の場合、これまでは、亭主はサービスに徹し、席中の懐石では、客から「お持ち出しで、ご一緒に」と勧められても、「勝手でご相伴いたします」と固辞するのが常であった。
 これに対して、家元は、それでは共食の理念に反すると、亭主の持ち出しをご希望になる。たしかに主客の間に和やかな会話が弾み、共食の効果が実現するのだ。
 ところが、ところがである。実は昨夏、家元が軽井沢のご別荘に来られたときに、近在の我が家に、粗末な茶事でお招きした。家元は、例のご持論により、亭主の持ち出しを望まれたが、台所に料理人か細君でも詰め、お運びは弟子がなどという訳ではなく手を借りたい猫一匹も居らず、何事も一人亭主が席中でおしゃべりしていたら、次のコースは何も出てこないで、お茶事がストップしてしまう。
 このような貧寒たる茶事は別にしても、これから若いお茶人が、自宅での茶事を志すような時には、本懐石どころか半懐石すらままならないかもしれない。そんな折は、日本が世界に誇るお弁当か。大皿盛りのビュッフェスタイルか。家元がお勧めのテーブル茶ではそれがふさわしいかも知れない。
 一人亭主の茶事でも、共食の理想を実現し、お茶の風情の溢れる良い案が、きっと創造されることだろう。

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2018年7月8日

天心忌茶会で思い出すこと

岡倉天心の孫夫妻とご一緒に(毎日新聞)

李 宗福(長野不白会)

 七月八日の信濃毎日新聞にの「わがまち遺産」に、長野県下高井郡山ノ内町にある大観の別荘「嶽心荘」が紹介される記事がありました。昭和四年に建築、木造平屋のかやぶき屋根で、庭も含めると六千平方メートル。いろりのある客間は、東京の自宅の部屋をまね、大観がこだわって設計したと書かれています。大観の何かの祝いの集いだったと思いますが、その客間でお客様に一服差し上げる光栄に巡りあったことがあります。天心のお孫さん夫妻と一緒の記念写真です。

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2017年12月1日

体操十種は素晴らしい

白井宗節(福島不白会)

 ここ数年食べても太れないので、かかりつけのクリニックに相談、大きな病院で精密検査を受ける紹介状をお願いしました。七月の検査の結果、胃癌と肝臓癌が見つかりました。
 八月中旬に胃癌を内視鏡で除去、術後は重湯からお粥の食事でしたが一週間で退院しました。筋力の衰えが体力に響きました。
 一カ月体力増強に努めて十月中旬に肝臓癌の開腹手術で癌部分を摘出しました。ここで手足のグーパー運動はじめ家元研究会で実施した顔面、手足のツボ押しをベッドの上で行い、術後三日目からのリハビリでは、身体のバランスを取り戻す体操十種の一部を行いました。
 手術後十日で退院しましたが、自宅に戻った日から横になることもなく、日常の生活に戻る事ができました。体力が衰えてない状態での手術と、術後の筋力維持の体操で回復は驚くほど早く体操十種の効果にびっくりしています。幸い胃癌も肝臓癌も初期で完全に取り除くことができました。術後の放射線照射も抗がん剤投与も必要ありませんでした。十二月白河茶道連盟の月釜担当には、名心庵筆の「無事」を掛け、年の瀬を迎えることの喜びをお客様と共有したいと思っています。

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2016年9月1日

家元句集 〝行雲流水〟を拝読して

森 宗恭(青森不白会)

 読み心地の良さ、心に残る句集でした。

  セーヌ河岸 夏満載の 船が往く

 一度も国外に出たことのない私でも、セーヌの流れを感じ、岸辺で川面を眺める私を感じることができました。
 心を揺さぶる句は、遠い昔へ誘ってくれるようです。

  くねくねと 酸ヶ湯を越えて 雪回廊

 「くねくね」の雪回廊の道、二メートルを越す雪の壁面
 十和田湖への北線が開く四月の一番バスが浅虫から出ます。春スキーの帰り、所々に水たまりのある、どこまでもくねくねと見通しの悪い道、ストックで雪の回廊に文字や絵を描いたり、かくれんぼをした遠い遠い昔をこの句に見つけました。

  湯ノ島は 亀の甲羅か 紅葉山

 浅虫は私の嫁ぎ先。裏の雨戸を開けると湯ノ島が見え、あの島を亀の甲羅と見るおもしろさ、春のわらび、カタクリの花、秋の紅葉は湯ノ島の定番の行事。
 亀の甲羅に季節の満艦飾を乗せてたゆとうている湯ノ島は、一服の絵のようでありました。
 *「行雲流水」とは、今年の春の茶会の月光殿に展示された、家元による七十点のスナップ句を集めた小冊子です。

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2015年6月24日

家元ご夫妻の尾瀬行きにお供して

金井宗美 松田清雪(群馬不白会)

 六月二十四日、すばらしい夏空にほっと胸を涼しい風が抜けてゆきます。尾瀬沼から下田代の道中、水芭蕉、延齢草、立山竜胆、小さな花々が迎えてくれます。レンゲツツジの咲く休憩所で、清水で入れたコーヒーを、木道の原をゆっくり三十分程で山小屋に到着。夕食はそれぞれ好きな飲み物で、おつかれ様でした。
 食堂は「尾瀬の四季」のビデオシアターですが、お家元が篠笛を吹いて下さるとのサプライズにミニコンサート場に早変わり。同宿の方々、従業員の方も一緒に静かな一時を過ごしました。
 七十代のご夫妻は、ご主人が五十年前にお泊まりになられたとのこと、やっと二人で来られてこんなすてきなサプライズに、今日のことは忘れることがないでしょうと感激されていました。朝もやの中で吹いてくださいと、お客様の所望に、二十五日早朝、霧立つ木道の演奏。散歩中の方々が集まって、朝のお茶一服に皆様それはそれは幸せな満ち足りた朝の始まりでした。
 しの笛に さそわれ茶の香 なほ豊に
 白い虹は見られませんでしたが、初夏らしい朝の湿原です。山小屋を後に中田代を花々に送られて一路鳩待峠に。
 陽を仰ぎ 立山りんどう清々し
 ガイドさんには、こんなゆっくりとご案内できたことははじめてと感謝をされました。お供できましたことに、感謝致します。(群馬不白会)

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2014年10月21日

お家元 塚原宗清さんをご訪問

生亀寿雪(山形不白会)

塚原さんを囲んで
 昨秋の十月二十一日、山形の「家元招請研究会」の際に、お家元と博之様が、塚原先生のおられる「ソーレ吉原」にお立ち寄り下さいました。
 先生は手押し車に手を添えて玄関で待っていて下さいました。玄関先での再会に、お二方とも満面の笑みを浮かべ、本当に嬉しそうでした。
 事務所の方々の計らいで広間に準備してくれたソファに座り、博之様を交えてお茶とお菓子をいただきながら、にこやかにお話をされていました。
 そして、お家元が先生のためにわざわざお持ちになった篠笛で、「ふる里」「月の砂漠」「赤とんぼ」を奏でてくださいました。先生がじっと耳を傾けて聞き入っておられる姿がとても印象的でした。
塚原宗清さんの「百歳の春」の作品

塚原宗清さんの「百歳の春」の作品

先生はひと言、「私の大好きな歌なの」と嬉しそうに、こっそり教えてくれました。穏やかな心洗われるうつくしい調べが館内に響き渡りました。
 三十分という制限された時間がすぐに来てしまい、お帰りになられるとき、お家元が「ちょっとお部屋にお邪魔してよろしいですか」と入ってこられました。そこで二年前にいただいた「めざして百歳」の色紙をご覧になり、「今度は『めざして百二十歳』と書かなくてはね」とおっしゃり、懐かしそうに、嬉しそうに眺めていかれました。
 お二人に至福のひと時をお過ごし戴けて本当に嬉しく思いました。(山形不白会)
塚原さんは「めざして百歳」の記事にも登場されています。

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2013年7月31日

高村光太郎の茶道観

石田宗洵(岩手不白会)

   詩集『道程』で芸術院賞を受けた高村光太郎は、その晴れやかな授賞に日の夜、内部に千利休を意識した「独居自炊」と題する侘びしさの漂う詩を書きました。私はこの詩に触発されて「高村光太郎覚書——茶道観と隠逸性を中心に」(盛岡大学日本文学科『東北文学の世界』第二十一号)をまとめてみました。
 戦災により岩手県の山村で「独居自炊」の生活を始めた光太郎は、この地に本阿弥光悦のような芸術村を夢見て、地域での講話に「茶について」を取りあげ、世界の人類に寄与する最も進んだ美と説きました。閑寂な中で精神を研ぎ澄まし、最上の美を見出すところにお茶があると考えていた光太郎は、美の本質を「比例均衡」にあるといい、茶を能面と同様に「節度」「含蓄性」の美しさを持つものと考えていました。山居で湧水を汲み、山の花を生け、湯を沸かして茶を点てている光太郎の「独居自炊」には、精神の自由を味わう生活者の姿がありました。
   

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2010年7月29日

日本の茶の湯について

Dr. Juergen Ploetz (ドクター ユルゲン・プレッツ)(ドイツ在住)

プレッツさん
ドクター ユルゲン プレッツ
 (連載「ドイツからの便り」No.4(『ひとゝき草108号』に登場したドクター ユルゲン プレッツから投稿がありました。野尻明子さんの翻訳とともに掲載します。)
 日本の茶の湯は、ドイツではほとんど知られていません。多くの人がこれについて聞いてはいるものの、その奥に何が隠されているか、また、Teezeremonie がどのような意味を持つのか、知る人はご く僅かです。私達ヨーロッパ人が茶の湯の表現に用いている、ドイツ語のTee-"Zeremonie" 、英語の Tea ceremony そして、 フランス語の Cérémonie du thé  という概念が、既にヨーロッパにおける知識の欠如を示しています。そして、この表現の表面的な第一印象は、「儀式」あるいは「厳格に規則付けられた飲茶」です。
 精神的な道としての茶の湯の理解を持たない私達が初めて茶の湯に接するとき、(予想に反して)率直さと思いやりが求められます。そして、普段と異なる立場、目新しい茶室の様子、制限された空間での動きや仕草が私達を最初不安にします。しかし、この不安は、同時に日常的に習慣化している態度や動作の型から私達を解放してくれるもので、不安を克服すると、私達は、より思いやり深くなり、同時に精神的な安らぎを与えられます。思いやりと落ち着いた静寂、という茶の湯の本質的な特徴は、私にとって茶の湯の初めであり、これからもたびたび私をヴュルツブルクでの茶の湯へ導いてくれるでしょう。

(原文)
Die japanische Cha no Yu ist in Deutschland kaum bekannt. Zwar haben viele davon gehört, doch was sich genau dahinter verbirgt und was die Teezeremonie ausmacht, wissen die wenigsten. Die Unkenntnis in Deutschland bzw. in Europa zeigt schon der Begriff, den wir Europäer für die japanische Cha no Yu verwenden, nämlich Tee-"Zeremonie" (engl. Tea ceremony, franz. Cérémonie du thé etc.). Der erste, oberflächliche Eindruck ist in Deutschland der Rituals oder eines streng geregelten Teetrinkens. Das Verständnis der Cha no Yu als Weg, insbesondere als geistiger Weg, ist erst einmal nicht vorhanden. Daher verlangt die erstmalige Teilnahme an der Cha no Yu Offenheit und große Aufmerksamkeit von uns. Bei der ersten Teilnahme sind wir stark verunsichert, da wir uns in einer ungewohnten Situation und einer neuen Umgebung (Teehaus) befinden und uns nicht so frei wie gewohnt bewegen und verhalten können. Diese Unsicherheit ist aber gleichzeitig sehr befreiend. Sie befreit uns von unseren täglichen und alltäglichen Handlungs- und Bewegungsmustern. Sie lässt uns darüber hinaus aufmerksamer werden und beruhigt gleichzeitig den Geist. Aufmerksamkeit (Ichigo Ichie) und Stille (Jaku) sind die beiden Wesenszüge der Cha no Yu, die für mich am Anfang stehen und die mich immer öfter zur Cha no Yu in Würzburg führen.
Jürgen Plötz

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2009年3月19日

常陽芸文センター講座「茶の湯の稽古の変遷」

川上宗康氏講義

講師写真
講義をする川上宗康氏

 去る三月十七日、水戸市月例の芸文学苑「茶の湯と周辺の文化」講座に、川上宗康氏が招かれ、茶の湯と稽古のあり様の歴史的変遷をテーマとする講義があった。参会者は会員制で、各流で茶道の稽古に励む方々、日本の文化史に関心を持つ方と幅広い。
 宗康氏は、茶の湯の歴史を、江戸初期の光悦、宗旦の時代の茶の湯。江戸時代前期。覚々斎、如心斎、不白が活躍した江戸時代後半期。そして明治時代以降の茶に分けられ、各時代の資料を用い、話を進められた。
 先人のやり方を取り入れながらも、茶事交流を通して「見様見真似」を活かした各個人工夫の茶。接待茶の湯という必要不可欠の茶。型の稽古を重要視、先行させる稽古茶。明治時代以降の流派別組織化と統一性を重んじる茶道、と話は展開された。数寄者、茶の湯者についても触れ、茶の湯を楽しむことと稽古を目的とすることとは異なるが、時代に対応しながらも、茶の湯そのものは変わっていないのではないでしょうか、と結ばれた。

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