●茶の湯の原点を見つめて
この度は、皆伝伝授式において、家元、奥様、新柳様、正客の落合先生他、皆様に総出で祝っていただき、本当にありがとうございました。
初めて伺う茶室のたたずまいにまず圧倒され、「家業」と表現された家元の言葉に、その継承の実際を目の当たりにし、深い感銘を受けたところです。久留米篠山で「乱飾」を伝授していただいてから二十年、最後の「皆伝」を家元自身からいただけたのは幸いです。
手作りのお料理の数々、鮮やかなお菓子、運びの皆様のさりげないお声かけの心遣いに気持ちが和みました。そして何より、家元によるお点前は圧巻でした。
始める前に深呼吸をされ、そこに何か決意めいたものを感じ、その緩急のリズムにまばたきもせず見入ってしまいました。ここに「本物」があると感じました。また「、孤峰不白」の背景にある意味を初めて知り、四十年目にしていたはずの「孤峰」の意味も知らず過ごしていたこと、恥ずかしく思います。茶花のすっとした切れは、久留米での研究会、梅林寺の折も学ばせていただきました。『行雲流水』の句集は、帰りの新幹線で拝読しました。一つ一つの句の情景、その時の心持ちが、簡潔な中に、しっかりと伝わってきます。また「ニーチェ、朔太郎、大津皇子」等、哲学や文学、歴史に渡る幅広い見識に驚きました。その中で「富士の山上るも下るも一歩一歩」が四十年間遅々茶の湯を続け、今、皆伝をいただいた私の心に一番合致しました。この句集から、家元の全国を歩かれたその足取りのご苦労、喜びが思われます。
私も一句つくってみました。
照り葉置く主の心か露地の庭「ちらと見た露地の石に散る照り葉が、まるで意図をもって置かれてあるようだ」との意です。
最後に、家元の「どうぞ、お茶を自分のために」という言葉が、少し意外で印象に残っています。人に教えることばかり考えていた私にとって、原点は何かと問われているような気がしました。私自身にとっての「茶の湯」とは何であるのか、日々見つめていきたいと思います。
久留米不白会 生津宗郁
●道号をいただいて
先日は上伝を賜り、まことにありがとうございました。美味しいお料理、由緒あるお道具、美しいお点前、これからの私の人生に彩りを与えていただける大変貴重な経験をさせていただきました。
高校生だったころ、お菓子を楽しみに半ば遊び感覚で茶道教室に通っていた頃は道号がいただける日が訪れるとは、夢にも思っておりませんでした。名前に恥じることのないよう勉強して参りますので、今後もご指導よろしくお願いいたします。
群馬不白会 青栁宗匡
●感謝の気持ちを胸に
初めて池之端に伺った時、左手にお箸を持ち替えてお菓子を取ったのを家元が気付いてくださり、その後左利きの点前を開発くださったことが、ここまでお茶を続けられた大きなきっかけになりました。利き手を使えることで安心して落ち着いてお茶に集中でき、お茶のみならず人生を深く感じられる時間になりました。
美味しいお菓子とお茶をいただくだけではなく、もっと勉強したい、もっとお茶のことを知りたいと思い、お稽古を続けて通えるようになりました。お茶を始めて周りのことにも興味を持つことができ、陶芸にも出会えました。
先生方にも恵まれて、家元はじめ雲鶴先生、落合先生、矢口先生、高橋先生に入門当時からお世話になったのもお茶を続けられた理由です。感謝の気持ちで一杯です。
今年はお免状をいただいて、本当にいい年になりました。「友雪」という素敵なお名前、雪を友と敬ってお茶に精進いたします。
東京不白会 内山友雪
●「秀嶽」のお軸を胸に
晴れた初冬の一日に上伝の相伝式を迎えさせていただきました。家元、中野先生のご指導、雲鶴先生、新柳様はじめ皆様の温かいお心遣いと、深く感謝申し上げます。
心に残りました床の「秀嶽」のお軸、その力強い筆致に圧倒されるばかりでしたが、ご相伝の際、多くの先輩方がご覧になられたことに思いを巡らせますと、何だか勇気が湧いてまいりました。
今はその麓にも立っておりませんが、気持ちを新たにお稽古に精進してまいりたいと思います。雪深い地で生まれた私には「恵雪」の道号もありがたく、大切にしてまいりたいと思います。
新潟不白会 中野恵雪
●これからも楽しく
師走を迎え山には白い雪も見える新潟でしたが、東京は天高く青空一杯で気持ちのいい一日でした。
門をくぐりお庭に見入り、ご準備いただいたしつらいの数々、家元のお気持ちが嬉しく感動いたしいました。初座での心のこもったお料理は、ほっこり身体も温まり楽しいお話で緊張も和らぎました。家元のお話で、忘れていた振り返りができました。この日だからこそ大切に思い、お茶をやっていて良かった、これからも楽しく続けようと思う一日となりました。
たくさんのご準備をいただいた奥様、新柳様をはじめ皆様にお礼申し上げます。
新潟不白会 斎藤和雪