2012年9月2日
天心忌茶会に参加して
幸田宗陽(福島不白会)
いつもの様に清々しい打ち水があり、その露地を進み、玄関に入るといつもと違う気が今日はみなぎっていると感じました。
寄付より花月の間へのご案内が。庭のつくばいには瑞々しい薄紅色と純白の蓮の花が二本、凛と活けてありました。今から始まる天心忌式に気が引き締まる思いにさせられました。
床の間の中央には、平櫛田中作天心像「鶴氅」(かくしょう)が。肝を潰しました。お軸は大観筆「不二山」の図。少し落ち着きを取り戻しました。静かに宗匠が天心像に進み、蝋燭に明かりを灯し、香を焚き、お経をあげ始めると一同胸の前に手を合わせ頭を下げました。
続いて宗匠の供茶点前が始まり、外の鈴虫の少し衰えた声を聞きながらやはり季節は移っていると思っていると雨が降り出して来、雨と鈴虫の合奏がやがてドンドンと家をたたく音のみになり、まるで天から今到着したと伝えているように聞こえました。
宗匠が一人のためのお茶に集中しておりました。今年の研究課題のひとつ台天目の意味をもう一度確認させられているようで、その所作とお姿に前のめりになる程引き込まれておりました。供茶は平櫛先生によって天心像の前に厳粛に捧げられ、我々もやっと普通の呼吸に戻ることができました。そして雷。中立ちへと。
庭の蓮の花は何故か紅白の花びらが一枚ずつ散り、水の上で寄り添って浮かんでおりました。散華なの? 葉の上には大きすぎる玉の水を一滴もこぼしてはならぬと茎がバランスを保って立っておりました。あの水は甘い水に違いない、飲んでみたいと思いながら見つめておりました。天心とそのお弟子さんたちの感涙の雨。誠を尽くすと天が感じて降らすという甘い露。以前にもこういう情景を味わったことを思い出し、これは自然の摂理なのではと二度の不思議な体験に思ってしまいました。
呈茶席へ、百碗展の残り物に「福」の茶碗にて運ばれて来たお茶を、うきうきしながらいただきました。それらのお茶碗はお隣りをも飛び越えて楽しませてくれ弾んだ席に包まれました。
大観、田中、宗匠の天心への信と畏敬の念で、突き進む意気込みを見て聞いて男が男に人間的なあこがれや人柄にホレるという熱い恋慕の思いがエネルギーとなって伝わって来、堂々男子は死んでもよい、のリズムが心地よく思い出された午後の講演でした。
長い長い変化に満ちた一日、あの場所に居合わせた事に感謝した日でした。
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