2010年9月4日
妙高天心茶会バス旅行に参加して
幸田宗陽(福島不白会)
天心山荘茶室
天心山荘の周辺は、下草が借り上げられた清々しさの中に、夏の侘びた残花と、初秋の花々が入り混じり猛暑の中にも高原の少し早い秋を感じさせてくれました。
「美の国からの美のための大使……天心。妙高高原こそなり、霊感満ち満つ世界一! 世界一の景勝の地!」との案内板を目にして、ここはそういう土地なのかと、記憶にとどめ山荘に向かいました。
お家元の供茶式が厳かに始まり、六角堂の天心像の前に捧げられた白天目の前で、袴姿に式章を懸け、般若経を唱える会員の方のうしろで、今ここに参加できました幸せに感謝致しました。
天心山荘のお席は、一行づつ替わる金と銀の法華経のお軸、端正な文字の並びに心の引き締まる思いが致しました。
視線を落とすと、野の花に囲まれて真ん中に納まった濃いピンクの蕾の蓮が、経筒の緑青に清楚さを一層映えさせて心和ませてくれました。右脇床には観音様。
「天心は美術品を自分のためには収集しなかったが、同じ興福寺の千体仏をひとつ持っておられた」とのお話しを伺い、合掌しながら観音様に対う前客のお姿に安堵感をつのらせながら拝しました。
欠けた左手には何をお持ちになられていたのでしょうか?
席主の天心への心のこもった床の飾りに早くも温かい気持ちでいっぱいになりました。九年の間には、と、お正客様のお話によると「山から押し寄せてきた雲が、そのまま茶室を通り抜けていったときもあったとか。雲龍に乗って天心の魂が御礼に現れたに違いない。そして月の夜ではないが、霧の中、プリヤンヴァダ夫人の足音を、いや、プリヤンヴァダ夫人の詩を聞いていたのかも知れないと、三方開け放たれた高い和室に座して、はるか斑尾の連なる山々をぼんやり眺めながら、解放された頭で思い巡らせてしまいました。この地は不思議が不思議でない地なのだから。
替茶碗、蝶の絵の荘子。夢なのか、自分が蝶なのか、蝶が自分なのか、のご説明に、昨日見学した光悦作「不二山」は、離れて富士山と感じるのではなく、茶碗それ自身が富士山だったのかと思えてきました。
諏訪大社の参拝、サンリツ服部美術館見学、そしておいしかった昼食、私たちの満足の顔に「本番は明日ですよ」とお家元が一言。
その本番は、限られた時間でしたのに、なぜかゆったりとした長いときを過ごした様に感じました。細かく泡立てられたお抹茶ののど越しのなめらかな味わいに、これが本番なのだとうなづきました。
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