一円庵 明治の初期、七代蓮々斎が玄関、寄付と共に他から譲り受け現在地に移築したものである。寄付の正面右に丸炉があり、その前壁に太い古風な柱がある。柱には二行書きで「三冬古木秀 九夏雪花飛」という不白の文字が彫られている。 |
蓮華庵 もとは、川上不白が神田明神台に建てた茶室。床前に板を入れた三畳道安囲いの席で、床横には利休像を安置する持仏堂があった。また、床柱は鎌倉建長寺山門の太い柱が使われていたという。 |
花月の間花月楼は、書院に炉を切り、七事式を行うのに適した座敷として考案された。 現在家元にある花月の間は、もと上野広小路にあった料亭「松源」の座敷の一部を明治時代に移築したといわれるもので、昭和35年頃に改築された。 「松源」は明治大正にかけて盛んであった料亭で、森鴎外の『雁』の舞台になったり、岡倉天心たちの集会の場所として利用されたところである。 |
関連記事
© 2003 edosenke
|