江戸千家 > 会報から(135号) > 喫茶往来

喫茶往来


 宗雪宗匠の呼んだり呼ばれたりの茶会の様子を紹介します。

湘南倶楽部

 梅雨の晴れ間、鎌倉由比ヶ浜の白井誠一、キミ子夫妻のお宅を仲間達で訪ねました。海の見える丘の上で心地よい風を受けながら散策の後、御自宅で一献と和韻点ての茶を戴きながら皆でおしゃべりを楽しみました。家元の唱える「自宅の茶」が広まっていると実感しています。
 六月十九日                     川上雲鶴

蝶々の茶会

 拝啓
 先日は御多忙の中、佐倉までお出掛け下さり楽しい時間を頂戴いたしまして心より御礼を申し上げます。
 長い間如心斎の手紙を読んでまいりましたがエンヒの義、いまだ解りません。是非家元にお教えを頂きたいと存じます。文の拡大コピーを歴博の方に読み下して頂きましたもの同封させて頂きます。当日の楽しい雰囲気を伝える写真も出来上りましたので送らせて頂きます。
 「吾妻家に」の句主人が蝶になってむかえているように掛けました。是非記念に書いて頂けましたら幸いでございます。
 息子の仁は家元の御茶事を体験したいと思ったようでございます。末筆ながら益々の御活躍をお祈りしております。
 七月十一日                     立崎貴子

みちのく散策

 スナップ句ありがとうございました。
  山峡に燕飛び交う旅の宿ひろし
 旅の風景がよみがえります。
 こちらからは旅のスナップ写真を御送りします。ご覧下さい。
  痩猫の庭先通る炎暑かな憲一
 八月五日                     佐藤憲一

芭蕉の館

夏稽古

 八月二十三日金曜日の軽井沢での稽古に十名の方の参加でした。家元より「誰か庭の花を摘んで下さい」と言われ、二、三人で好きな花を摘んできました。高原の花、ひと足早く秋の実をつけた枝等々、三種の花を柱掛けにし床には蓮鶴先生の写真を飾りました。なつかしさで胸がいっぱいになりました。略盆での供茶の後、名古屋の蒸し菓子をいただきゆったりした気分で稽古が出来ました。
 中立ちは、御近所のおそば屋さんへ全員で行き、地元の蕎麦と野菜の天ぷらをいただき、なんとおいしかったこと。すっかり解放感にあふれてしまいました。後座は、食卓での「テーブル花月」でした。
 帰り際、ベランダにて家元の篠笛の音色を背に受け、今日の楽しかった思いは高原のすずしい風に乗って私の心の中にいつまでも残る事と思いました。
 八月二十五日               中田宗節 (九十二歳)

初伝

 九月五日、家元をお迎えして新宮同好会発足後初めての相伝式が行われました。
「入門十名継続五年初伝長月」
 この家元のスナップ句が新宮同好会の歴史を物語っています。創立メンバー十名が揃って初伝を伝授され感無量です。ここまで我々を導いて下さった家元に感謝申しあげると共に、一同今後益々の精進を誓いあいました。
 九月五日                     瀬古伸廣

待ち人

謹啓
 はがきありがとうございます。
 九月二十八日、おいで下さるのでしょうか。目を疑いました。むさくるしい田舎の梅林へ。もし本当ならこんな嬉しいことはございません。
 先般おこしいただきましたのが、現世でのお別れかと思っておりました。九十四の老人にとって訪れて下さいますこと、至上の悦びでございます。
 でも折角訪れて下さいましても、お茶一服も差し上げられません。野の花も窓外で見るばかり。自室に持ち込むことは出来ません。それでもお訪ねいただければ生涯、至上の悦びでございます。お目にかかれること、夢ではありませんか。ぜひ、ぜひ、お待ち申しあげます。 敬具
 川上宗雪様
 九月十五日                   福岡 田中孝

縁先で

前略 二十四、二十五日の田辺祭が終わってからの一週間が最も暑い時と昔から言われております。その暑さが続いております。
 二年ぶりにお二方様にお会いできまして大変楽しいひとときでした。御土産まで頂戴致しまして恐縮です。又、旅のスナップに南方邸を詠んで下さり、ありがとうございます。
 七月三十日                     橋本邦子

熊楠旧居

十月二日月釜

 三十度という暑さが、そうだったのかしら?と思う程、お玄関からお庭いっぱいの打水に涼風が心の中までしみ入りました。
 お軸のお話、消息がお好きなのだなあと思いました。楽しそうにお話なさいます御様子にどんどん引き込まれてまいります。そして奥様の数々のお肴、お料理、楽しゅうございました。濃茶は全部いただきたいようでございました。
 私の家の近くになつめの木があり、今年も沢山の実をつけております。戦争中、私は五歳位でしたでしょうか。母が大八車を曳いて、丁度映画の子連れ狼の一シーンの様に農家へ野菜の買い出しに何度か出かけました。今、車で行ってもかなり遠うございます。雨の日の夕方など、車を曳く母の傍らに連れ添って大きななつめの木のある家の前を通ります。そこまで来ると田中の道が家並みの道に連なり、幼心にも何かホッとした思いがございました。母も若く、戦争中は皆夫々に大変だったのでしょうけれども、父は応召中、祖母と私と妹二人、自分は勤めを持ちながら週末の買い出しに幼い私を伴うことが、心の支えだったのかも、と今になって思います。なつめの実るこの季節、尚々母を思います。御茶の御縁であの様な至福の時を持たせていただけます事、家元、そして皆々様の諸々とお心遣い、いつもいつもありがたく感謝申しあげて降ります。どうぞいつもお健やかにまたまた、お目にかかれますように。

十月二日月釜

 只、お茶が好きというだけの私ですが、お陰様ですばらしい方々とお知り合いになることができました。
 家元が自分のお茶で御流儀を発展させていらっしゃいますこと、敬意と共に悦びや嬉しさを感じております。小堀宗慶家元が、「このようなお茶は川上さんでなくてはできないね」とおっしゃったこと。すばらしいことでございます。和韻点や自宅でのお茶、これは茶の湯の世界の革命だと思います。多方面の方々との交流も、ひとゝき草などで拝見でき、嬉しいことでございます。池之端の大ファンはこれからも見つめてまいりたいと存じます。楽しい時をありがとうございました。

会津八一 短冊

 翌日東京駅のステーションギャラリーで、岸田劉生展を観てまいりました。昨日いただいた冬瓜を思い出し、絵はがきを買って参りました。以前出版社に勤めておりました時の友人が、伯母様が麗子さんと女学校の同級生だったというお話しを思い出したりいたしました。新潟へのお心配り、あの短冊は当地でもみられないきれいなすてきな料紙でございました。どこにも季節があふれていてすばらしい一日でございました。また、お料理もきれいでおいしくて最高のおもてなしにあずかりました。
 今年は気候の関係で佐渡のあごは一匹もとれないそうでございます。飛鳥の蘇はご存じでいらっしゃると思いますが、ほんの少々ではございますが、お贈りさせていただきます。
 十月五日             甘粕静枝

岸田劉生 絵はがき

東京茶道会月釜

 家元からの要請で、未熟の身ながら、十一月の東京茶道会の円成庵に釜を掛けました。好きで集めていた道具を自由に取り合わせました。特に、本格的な茶席の床にバンクシーの代表作「花束を投げる青年」を掛けさせてもらい、うれしかった。
 十一月十日
   中野裕通

瑞泉寺

拝啓 先日は、瑞泉寺のお稽古におしいただきありがとうございました。
「淋しさに飯をくふなり秋の風」という一茶の句が瑞泉寺門前にかかっていた日でございましたが、まさに私もおにぎりを食べてきたところですよ、と爽やかにお話くださいました。体操も丁寧に御指導いただき、動きだけでなく、呼吸とともに心、気持ちも大切だということを教えていただきました。また、お花を生けるところも拝見させていただき、大変勉強させていただいた一日となりました。
 十一月十八日                     水島徳子

水野家新宮入部四百年

川上宗雪さま
 水野家入部四百年記念式典無事終わりました。
 九日のシンポジウムでは、家元からの祝電も披露され、十日の新宮城址での呈茶は三時間で二七〇人が来場し大盛況でした。女性陣は裏方で陰点。ボーイズ六人は袴姿でおもてなし。評判よかったですよ!水野家ゆかりの方々も沢山来て嬉しそうにしていました。水野家宗家といわれる結城水野の当主、山形、福山そして新宮水野の当主ドイツのモニカさんと息子のケンさん。シンポジウムの時に貰った水野家の資料を郵送しましたので、ご参照ください。取り急ぎご報告とご連絡まで。
 十一月十一日                     瀬古光子


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