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■水屋日記 第18回

指物(前編)

川上新柳

山田嘉丙様

仕口を合わせる

仕口を見えないように組んだ箱(右)
と茶道具の桐箱(左)

 茶の湯に関する様々な職人や生産者の方々のお話を伺いにいく企画、今回は指物師の山田嘉丙様です。江戸指物師として棚や風炉先、茶道具を入れる桐箱などを作成いただいております。また、家元稽古場で稽古もされまして茶人の視点を持って製作をされています。
……指物とは何かという事からまず教えていただけますでしょうか?
 「指物」とは木を組み合わせて作られた家具や調度品を意味し、茶の湯においては棚や風炉先などがその代表例です。指物の名称の由来は、金釘を使わず板を組んで指し合わせる事からとも、物差しを用いて作るからとも言われますが正確な由来は断定できません。指物師というのは宮大工から分化してできたとも言われ木を組む技術にもそれが見て取れます。
……板を組んで指し合わせる技術は、棚や桐箱などの作品を見ていますがその完成度や美しさに驚かされます。
 指物では、木目を活かすために、仕口(木材を組み合わせる部位)を外から見えないように組むのが基本です。ただし茶道具の桐箱に関しては仕口が見えるように組みます。
……どのようなプロセスで製作されるのでしょうか?
 指物師は設計図を書く事はあまりしません。大抵の茶道具の棚は柱の太さから板の間隔まで決まっていますので、一度作れば図面が無くてもできるようになります。ただし、家元好みの棚を新たに作る場合には、寸法が決まっていないので図面を描きます。その上で模型のような試作品を何度か作って、細かな意見や指示をいただき徐々に形を決めていきます。設計図といっても絵で大雑把にデザインすれば出来上がります。
 これまで作った江戸千家の家元好みの茶道具は、四方棚、花月棚、木瓜卓、清風卓、逢雪棚、それから風炉先屏風です。

木瓜卓

 木瓜卓を例にすると、この棚は一枚の板から作るという方針だったので形や寸法を決めるプロセスはシンプルでした。材料の選定に打ち合わせを重ね、板は松、柱も赤松の皮付きという事に決まりました。柱に使った細くて真っ直ぐな皮付きの赤松は、現在では育てる人が少なくなっていまして、昔と同じような材の入手が困難になりつつあります。指物師が製作に使う木材は材料屋に用意していただいてますので、材を育てたり加工したりする業者さんが指物師にとっては大切なのです。
……この部屋にもさまざまな材がならんでいますね。
 これから使う材もあれば、製作時に切り落として残った材もあります。それから木材と並んで、型(かた)も置いてあります。例えば風炉先の透かしの模様。そこにあるのは一元斎好みの雪月花の透かしですね。透かしも専門の業者さんに、型に合わせて削ってもらった後に私が小刀で整えます。
 指物師らしい物と言えば、「もりつけ棒」という物があります。一本の棒の中に風炉先を作る際に必要な全ての長さが記されています。
……作業道具を出し入れされている引き出しは三木町棚ですね?
 はい。これは三木町棚の引き出し部分を道具入れとして置いています。幸い茶道具を作るのに広い作業場はいらないんですね。家具をやるようだと広い作業場が必要になってきます。
…….三木町棚は職人の道具入れが元になっているという説もある棚ですから、その通りに使われているのは興味深いですね。他にも刃物などの道具がいろいろ並んでいますね。

いろいろなカンナ

 カンナには細かい物がたくさんあります。細かい所を削る時には小さい物を使ったり、勾配に合わせて使い分けたりします。端に細かい段を付けるような特殊なカンナもあり、四方棚の天板の削りに使いました。また作業内容に合わせて道具を作る事もありますので、だんだん増えていって現在のように多くのカンナを持つようになりました。
.....カンナはご自身で作るのですか?
 刃の部分は鍛冶屋に作っていただき、木の部分は自分で作る事があります。刃は研いでいるうちに減っていって使えなくなってしまいます。そうすると刃は無くなるけれど木製の台が手元に残るのです。その木材を削りなおして小さなカンナの台にするなど、他の道具として作り直して使います。指物師の中には刃だけ買って台は自分で付ける人もいます。また特に小さなカンナは他の刃物を切って作っています。

80年以上使って、半分の幅になったノコギリ

100年使っている罫引き(初代の銘が入っている)

 ちなみにカンナにせよノコギリにせよ、それぞれ別の職人が作ります。材木屋同様に、現代では鍛冶屋はじめ道具を作る人も少なくなってしまいました。最近はDIYの流行でお店に便利なノコギリも売っていて、職人が作ったノコギリの需要も減ってしまいました。
 このノコギリは昭和十一年と銘が入っています。つまり八十年以上使っていることになります。切れなくなるとヤスリで減らして目立てという作業をします。一回の目立てで〇・〇一ミリくらい減るのですが、それが積み重なって元の半分くらいの幅になりました。
 この「罫引き(けひき:平行線を引く道具)」には祖父の銘が入っています。漆を塗ってあるように見えますが、実は木地だったものが百年ほど使われている間に手脂でこのような色味になっています。元はカンナでしたが、先ほど話したように台の部分を削って組んで罫引きとして使っています。
……山田様は御祖父様が初代ですね。
 はい。その前は和傘屋だったようです。祖父は明治十七年生まれの静岡出身。東京に出てからは祖父も父も浅草でやっていました。祖父は茶道具はやらず家具を作っていました。父も当初は茶道具は扱わず、戦後しばらくして京都の問屋からお世話になり茶道具を作るようになりました。作家の手がける一点物ではなく、職人としての数物でした。
 私は指物師としてしばらくやっていく内に、茶の湯の事をわかっていた方が良いのではと感じるようになり江戸千家に入門しました。そのうちに家元が新しく好まれる茶道具を作らせていただくようになりました。

透かし模様型

……後継者がいらっしゃいますね。
 かれこれ弟子になって十七、八年になりますか。私が訓練校の講師していた時に、その学校で学んでいた女性です。
 後継の問題の他、今後の問題という点で言うと、私が現在いる木場は、江戸時代から木材を扱う地域で、伝統的に木材との縁が深い街だったんです。私が子供の頃は川全体に丸太が浮いていたんですよね。現在その役目は新木場の方に移りましたが、今は新木場の方でも材木屋、製材屋が減ってしまいました。外国で製材したものを輸入する事情もあります。
 良い木が育てられて、手に入るという環境がどこまで整えて残していけるのかは指物の世界にとって重要な課題です。(後編につづく)

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