江戸千家 > 会報から(137号) > 水屋日記(12) 茶筌のこと(前編)

■水屋日記 第12回

茶筌のこと(前編)

川上新柳

江戸千家で製作をお願いしている数穂の茶筌
取材の際、皆で穂の根元の糸を編ませていただいた物

 茶の湯に関する様々な専門の職方からお話を伺うシリーズ、今回は茶筌です。奈良県生駒市高山町にあります久保駒吉商店にてお話を伺いました。
 茶碗や茶杓などは茶道具でない物を代替して使う事がありますが、茶筌に替わる事ができる道具は基本的にありません。しかしこの替えの利かない道具について、意外と知らない事は多いのではないでしょうか。
 (以下聞き書)

高山町のこと

 高山町は日本における茶筌の生産のほぼ全てを担う町です。製作は室町時代中期に始まったと伝わります。高山城主の次男・宗砌が、縁のあったわび茶の創始者である珠光からの依頼で作ったのが最初でした。その後、後土御門天皇が珠光の茶席にて茶筌を見て、誉めると同時に「高穂」という名を付けたと言います。以後、茶筌の製作は家臣たちの家に一子相伝として受け継がれてきました。現在は町に十八軒の茶筌職人がいます。

竹のこと

 日本で取れる竹のうち千葉から西側、本州の中部域あたりの竹が茶筌に向いていると言います。程良い太さの竹というのも重要なポイントです。最近の日本では竹林をしっかり手入れできる所が少なくなっています。山で竹をとったら、そこの竹はその先三年くらいは使えなくなるそうで、複数の場所を三年程度の期間かけて回しています。高山には茶筌の竹を扱う竹屋は一軒だけあります。茶筌の事に詳しい竹屋でないと務まりません。

久保駒吉商店 伝統工芸士 久保建裕氏

 茶筌にできるのは二~三年目のちくという種類の竹です。淡竹は節が穏やかで、繊維も素直という特徴があります。それを湯で炊いて油抜きを行い、寒い日に天日干しを行い、その後で倉で更に二~三年寝かす事でようやく茶筌として製作できる竹になります。大量に集めた竹材の中から、寝かせている間に割れる物などもあり、実際に材料として使える竹は最終的にごくわずかです。

茶筌のこと

 茶筌は穂の数によって百二十本立て、百本立て、八十本立て、数穂、常穂、中荒穂、大荒穂などがあります。一般的に薄茶でよく使われている数穂は六十~七十本程度、中荒穂は四十八本程度です。実はこれらの種類別にそれぞれ元になる竹の太さが違います。
 最近は海外の人件費が安い所で生産されている茶筌もありますが、とれる竹(淡竹)の性質や製作過程による違いが、最終的にできあがる茶筌の質に影響します。
 

様々な形式の茶筌

職人の実態について

 茶筌製作用の道具は、自分自身で工夫して作ります。専用の道具が一般に販売されているわけではないので、自分の製作方法に適した道具を自分で作るしかないのです。茶筌製作で一番難しいと感じているのはこの点です。
 例えば刃は竹を切るのではなく削ぐような感じが欲しいので、切れ味が良すぎても使いにくいです。
 茶筌を作る職人の技術については、昔は一子相伝・口伝でしたが、今は各家の技術交流が少しは増えました。もともとは人に見られないように、また昼間は来客対応するため、茶筌師は夜に作業する人が多かったのです。今もその影響や、また静かで集中しやすい事もあり、夜遅くに作業する事が多いです。現在は他の家との情報交換もあるので、他の茶筌師のやり方を取り入れる事もあります。
 高山のあたりは茶筌だけでなく柄杓や茶杓、花入などそれぞれの道具の専門職がいます。

久保家の皆様と記念写真

使用方法について

 茶筌は使ったら湯でしっかり洗って、水分を飛ばして乾燥させる事が重要です。湿気が強過ぎても、乾燥しすぎても良くないです。湿度が高すぎると穂の下、奥中の方にカビが発生しているケースや、逆に乾燥し過ぎて竹が割れてしまっているケースを見る事があります。使用後に洗って、乾いたらその後は風通しの良い日陰の場所に置いて保管してください。
 最初に使った茶筌はその後の使いやすいと感じる茶筌や、茶筌の使い方の手の癖を決定づけます。できればしっかりした良い茶筌を使って茶の湯をしてもらいたいです。

 次回も茶筌の話の続きです。製作過程を紹介させていただきます。今回と次回の記事で、普段何気なく使っている茶筌に少しでも使用者たちの意識が集まると良いと考えております。

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