Dr.Ploetzの 庭での稽古風景
私が二〇〇二年の三月にドイツで茶の湯の紹介を始めた時、漠然と以下のような順序で自分の仕事を進めてゆけたら、と考えていました。
- ドイツ人に茶の湯という spiritualな芸術の存在を知らせる
- 茶の湯の紹介の講座で深い共感を示したドイツ人の興味を引き止め、育てる
- 稽古を通して、茶の湯の世界をドイツ人と共により深く学び、味わうと共に、これからの茶の湯のあり方や稽古の方法を模索する
今私は、結論として、「三十分程度の正座と点前はドイツ人にとっても習得可能」、そして、「1の段階の後、2の段階に留まる人と、3の段階に入る人は、初めから異なる」とはっきり言えますが、ここに至るまで約十年の月日を要しました。
二〇〇二年の三月から、二〇〇九年の三月、点前の稽古を初めて希望したドイツ人、シュレーダーさんに出会うまでの七年間は、まさにジャングルに水田を開くような、孤独な試行錯誤の連続で、新しい茶筅や茶巾、柄杓が一度で使えなくなってしまったこともありました。
そして、「正座や点前の稽古は荷が重すぎるが、茶の湯の喜びと安らぎを繰り返し味わいたい」、というドイツ人のため、〈客の作法を学ぶ稽古〉なるものを敢えて試みました。
この、日本では中途半端とも言われかねない〈稽古〉を、私は真剣に、初めは合気道道場を借りて月に一度(参加者は毎回七〜十五人の間でした)、一年半ほど試みました。この道場はエレベーターのない建物の三階にあって、必要な道具全部を毎回階段を使って運び上げるのは気の重くなる大変な作業でしたが、この道場の床にはしっかりしたマットレスが敷き詰められていて、正座や胡坐が可能だったからです。
ところが、畳の形・サイズ・縁の存在を知らないドイツ人に、〈客〉として、コの字型に適当な間隔を取って真っ直ぐに座ってもらうことからして簡単ではなく、毎回それだけで相当な時間を必要としました。
自宅居間での稽古
その後、場所を我が家の居間に移して小人数で更に一年余、その〈稽古〉を続けてみましたが、点前を学ばない〈客〉のマナーは、いつまでたってもぎこちなく(一般的なドイツ人のコーヒータイムと比較すれば、皆はるかに礼儀正しかったのですが)、各自が喜んで一服のお茶を味わってはいるものの、亭主や他の客との一体感、つまり「座」が育たなかったのです。
いつも亭主役で教えている私は、いつしか自分を、和風喫茶の店主のように感じるようになったため、〈店仕舞い〉よろしく、この〈稽古〉を中断しました。来ていた人達はがっかりし、中には「一体なぜ?」と怒りを露わにした人もいて驚きましたが、私は正直、疲れ果て、その後は、紹介の仕事に専念することに決めました。二〇〇八年の夏のことです。
その後、心の張りを失ったまま、各市民大学(日本の〈公共の文化センター〉)で茶の湯の紹介を続けていましたが、二〇〇九年三月、本当に参加者が集まるのか、心配なほど小さなある町の市民大学の責任者に「ぜひ」と乞われて茶の湯を紹介した際、参加者の中にとてもさわやかで礼儀正しいシュレーダーさんがいました。