稽古の前に手を清める。蹲踞の代わりに生前の荻野先生から戴いた手あぶりを使って。
ある日、稽古を始めて間もなく、Dr. プレッツが私に問いました。「私達ドイツ人が茶の湯を学ぼうとしていることを、日本の江戸千家の人たちは喜んでいるのでしょうか。」私は、勿論喜んでいます、と答えた後、なぜ突然そのような質問をするのか、問い返しました。
すると彼は、「茶の湯と江戸千家のことをもっと知りたいと思って江戸千家のホームページを開いてみたが、日本語のページしかない。これは、〈茶の湯は日本人のみが学び得る〉という江戸千家の意思表示ではないのか、と疑念を持ったからです」と言いました。
私は、「日本人は、地理的・歴史的背景から、自国の言語や文化を外国人に紹介する経験に乏しく、欧米人に閉鎖的な印象を与え勝ちだが、意識的に門を閉ざしているわけではない」と説明しましたが、潜在的な外国人入門希望者のため、近い将来、英語版のホームページが作成されることを切に願っています。
シーボルト記念館の地下室に建てられた茶室でのお稽古。
外国人は、外国にのみ住んでいるのではありません。現在の日本には、多数の外国人が学生や駐在員(この場合は家族も)として住んでいます。そして、その中の少なからぬ人々が、何か日本的なものを学んで自分の国に帰りたい、と考えています。そのような外国人に、茶の湯の素晴らしさを知ってもらうことは、有意義な国際交流になるばかりでなく、日本の茶の湯の活性化にもつながることと思います。
その茶の湯の素晴らしさについて、人それぞれの考えがあると思いますが、私はドイツ人に対して、ずばり、「本気で招き、招かれる喜びと緊張感」だと訴えています。
Dr.プレッツが自分で壁塗りをして仕上げた茶室での初めての稽古。
ヨーロッパでは、誕生日の祝いが日本よりもはるかに重視され、ドイツでは更に、十年ごとの誕生日をかなり盛大に祝う習慣がありますが、本当に楽しく心に残るパーティーには、あまり出会いません。招いている方も、招かれている方も、半分義務感で参加しているからです。
同様に、大寄せの茶会への参加や稽古の見学だけでは、外国人に茶の湯の素晴らしさが伝わらないばかりか、「退屈」、「非個人的」、「無表情」など、逆にマイナスのイメージを与えてしまうこともあります。