蓮鶴先生を迎えて炭付濃茶の稽古(平成元年)
◇福島不白会創立
福島不白会は、昭和五十八年、徳山宗玉先生がお家元に伺い、支部の基礎を固められたとお聞きしています。
昭和六十年には第一回目の研究会を開催、蓮鶴先生をお迎えし、ご指導いただきました。翌年には福島同好会を結成、徳山同好会会長を中心に会員も増加し、家元研究会へも参加。平成二年、福島不白会が創立しました。
平成五年十月、宗雪宗匠、宗康先生、蓮鶴先生、近隣支部の皆様をお迎えして三周年の記念式典と茶会を開催。南湖公園の見晴らしのよい共楽亭をお家元に担当していただき、茅葺屋根の小間羅月庵を徳山会長が担当して皆様に楽しんでいただきました。翌年六月、徳山支部長から岩谷宗清支部長に会が託されました。白河茶道連盟主催の月釜を担当、郡山地区では初釜、秋の茶会を毎年担い、地域の茶道界に江戸千家の存在感が広がりました。
招請研究会も春には蓮鶴先生を、初秋には宗匠をお迎えして、年二回の開催が恒例になりました。平成九年頃からは博子先生、千雪先生、里雪先生が、蓮鶴先生とご一緒に来ていただけることになりました。
◇支部結成十周年
平成十二年五月には結成十周年を迎えました。記念式典の後、日本庭園翠楽苑内の秋水庵を東京支部様が、松楽亭を岩谷支部長が担当し、新緑の南湖公園での茶会をご堪能いただきました。
平成十八年の春からは、蓮鶴先生に代わり、博子先生にご指導をいただいております。平成二十年四月、岩谷支部長から、未熟な私、白井が支部長を引き継ぐ事になりました。
家元招請研究会 徳山先生宅にて(平成元年)
◇二十周年記念事業へ向けて
平成二十一年度の長野での全国不白会役員会で、二十周年記念事業の実施を告げ、さっそく準備を始めました。
白河の寒さを考慮し、日程も二転三転ののち平成二十三年六月五日に決定、会場や内容も数度の役員会を経て決まりました。開催人数は百二十名、式典、講演会の依頼も終了。そこに三月十一日の東北大震災です。
◇記念行事の中止とこれから
私達は福島県でも中通りですので津波の被害はありませんでしたが、屋根の瓦が崩れ落ち、二階外壁が落ちる等、経験したことのない大きな揺れに呆然としてしまいました。
一カ月が過ぎてようやく落ち着きを見せたものの、余震の続く毎日、加えて東京電力福島原子力発電所の事故の実態が明らかになってきました。会場を予定していた白河は原発から八十キロの距離で安全圏ではあります。しかし、お招きする皆様に安心して楽しくお越しいただける状況ではないこと、主催する側の会員も余裕のない状態で、やむなく中止を決定しました。本当に残念に思っています。
宗匠から嬉しいお電話をいただきました。「創立二十周年であることに変わりはないのですから、晴れがましい式典や茶会はできなくとも、別な形のお祝いの仕方があると思います。喜んでうかがいます」
気楽なお祝いのお食事会なら、徳山先生もお招きして実現できないものか、と考える今日この頃です。