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■ドイツからの便り No.3■

●ドイツで【尺八と茶の湯】●

野尻–クレル 明子(ドイツ在住)
禅の文化センターで
禅の文化センターBenediktushofでの茶会風景

 シーボルト生誕の地、ヴュルツブルクから西に二十五キロメートル程の山の中にある Benediktushofという文化センターで、私は年に数回、茶の湯を紹介しています。二〇〇七年の夏、仕事の前に受付へ行くと、「オーストラリア人のジム・フランクリンという尺八演奏家が、あなたの茶の湯の講座での伴奏を申し出ていますが、どうしますか」と尋ねられました。
 思いがけない申し出に心が躍りましたが、残念ながら、茶の湯を全く知らない十人程のドイツ人と尺八を聞きながら静かにお茶を味わう、というわけにはいかなかったので、初対面の彼に、「失礼でなければ、講座の初めに演奏をお願いしたいのですが、如何でしょう。初めに尺八を集注して聞くことで心が日常から解放され、心の中で露地を歩くような経験ができると思うのですが」と相談しました。
 シドニー大学での職を捨てて、日本で横山勝也氏に尺八を師範まで習い、禅の勉強もしたことのある彼は、「わかりました。それで結構です」と笑顔で答え、本当に見事な演奏で、私達に「本曲」から三曲を選んで聞かせてくれました。
 私は、この日初めて間近で尺八の音を聞く機会に恵まれたのですが、たちまち深遠な宇宙に引き込まれ、圧倒され、日本には嘗て、現代の小賢しい日本人には想像もできない凄い文化があったことを肌で感じました。そして、「本曲」が成立したと考えられている十六世紀に、千利休によって営まれた茶の湯がいかに鬼気迫るものであったか、その後しばしば考えるようになりました。

工夫のある空間構成
工夫に満ちた空間構成

 二〇〇八年の三月、池之端でお家元のお稽古に加えていただきました折に、お家元が東京不白会春の茶会で篠笛を吹かれると伺いました。ジムから何度か、「一緒に仕事をしよう」と誘われていたところでしたので、お家元に励まされたような気が致しまして、ドイツへ戻ってから準備を始めました。
 しかし、Benediktushof の企画担当の女性も、《尺八と茶の湯》の組み合わせには流石に難色を示し、不承不承で企画はしたものの、開催間際まであまり協力的ではありませんでした(このような催しに参加者が集まるとは想像できなかったようです)。

会場風景
記念撮影
スタッフ記念撮影

 また、合気道の教師で茶の湯ファンの男性の友人達も、「《半東》は、女性の仕事ではないのか」と半信半疑でしたが、私は、この機会に何としても彼らにお客様をもてなす立場を経験して欲しかったので、敢えて半東の役を頼みました。彼らは、合気道の有段者にのみ許されている袴をつけて《半東》が勤められると知り、やる気になったようです。
 私が向かい風の中、一年がかりで準備してきたこの催しは、二〇〇九年五月三日、ジムの尺八演奏に大いに助けられ、七十六人(男女約半々)の参加者の深い共感の中、静かに和やかに進行しました。理事長の女性が、終了間際に私達の会場に戻って来た時、「この部屋の空気は、なんて澄んでいるんでしょう!」と感激して言いました。
 間違いをしながらも半東を精一杯勤めた友人達は、参加者以上に感動して、終わっても興奮冷めやらず、「ぜひ、また手伝わせてくれ」と言いましたが、私の胸中は複雑でした。結局ドイツ人に受け容れられるのは、このような「茶の湯に似た催し」が限界で、稽古が必要な茶の湯に足を踏み入れる人はこの先も現れないだろう、と実感したからです。

【バックナンバー】
■ドイツからの便り No.1「ドイツ人に茶の湯を紹介する」
■ドイツからの便り No.2「Teezeremonie〈茶の湯〉のイメージ」


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